会いたいと念ずると、その人に会えてしまう。

最近、そういうことが続いている。
きょうは二度もそういうことがあった。

朝、上司と打ち合わせをしていたら、その話題に欠かせない他課の責任者が実父の葬儀に参加した人たちへの挨拶まわりにこられた。捕まえて仕事の話をしてしまう私も私だが、そういう性格だからしかたがない。

午後は出張で難波駅にいると、今夜行こうと思っていたある店のママさんに後ろから背中をたたかれた。きょうは店はどうするのと聞くと、連休は店を開けていたから臨時休業にするんだという。これで、無駄足を踏むことが無くなったわけだが、とても不思議な感覚だった。

別に、今日に限ったことではなく、4月からどうもこういうことが続いている。正確にいうと、3月の中ごろからだと思う。

枕元にノートを置くことにする。
夢を記録するためだ。
夢日記をつけるのだ。そして、どんどん無意識の世界に踏み込んでいく。

仕事やその他のアイデアを思いついたときも、ここに書く。

「エル光源」のランプを枕元に置いているので、スイッチひとつで小さな明かりも点くから。

もっと、もっと、システマティックにしたい。

食事にしても、仕事にしても。

いま、朝はかなりシステマティックだ。
起きて、ヨガをして、目玉焼きを焼いて、サラダを食べる。庭の野菜を見回り、雑草を抜く。火曜日は燃えるごみを出し、水曜日は燃やせないごみを。金曜日も燃えるごみだ。

仕事は、17時30分まで。それ以上に働く必要があるのか?

読むべき本は増えるばかり(エントロピーは増大する)で、一向に収束する気配はない。

ブッダの夢」の最終章にあったように、人間の心は初めから完成していて、人間の魂は段階によって複雑になるけれど「正しいものになったりしない」のだ。