内田樹「村上春樹にご用心」

村上春樹にご用心

村上春樹にご用心

 実に面白かった。

 芦屋の国道2号線(「国道2号」と書くのが正式な表記ですが...)から少し入ったところ(=ジェイズバーがあったところ)に住み、若い頃に友人と翻訳会社を立ち上げた内田樹は、もしかすると村上春樹の身内なのだろうか?と、いう気がするほど、内田さんは村上春樹を全面的に肯定している。この姿勢は、もしかして蓮實重彦の「表層批評宣言」にあったものではないのか。
表層批評宣言 (ちくま文庫)

表層批評宣言 (ちくま文庫)

 おそらく東大でフランス語の授業を受けたであろう蓮實重彦村上春樹を「結婚詐欺」、「この作家の書いたものは読むな」と書いたことについては何度も言及(「はじめに」もそこから始まっている)し、批評家の節度を越えた発言だと揶揄している。しかし、決して蓮實重彦を罵倒してはいないところに内田さんの誠実さを感じる。

 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」以来の読者だが、もともとあまり熱心な読者でもなかった。作品に出てくる音楽を順番に聞くといったこともしなかったし、そんなことをしなくても十分に楽しむことはできた。出版されたものはすべて読むということもかなり前に止めていた(「ノルウェーの森」の前後か)が、もっとべったりと付き合っていても良かったなと思った。
 蓮實重彦柄谷行人らの読者でもあるためか、その影響をもろに受けていたのだろうか。最近は小説(長編)だけをフォローするようにしてきた。だから、翻訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も(書店の平積みの前でかなり思案した記憶はあるが)、「ロング・グッドバイ」も読んでいない。何十万人が一斉に読んでいる状況を体験できる、せっかくの貴重な機会を逃してしまっていたのだ。残念。図書館で借りて読もう。(こうして、次から次へと読書への意欲が増していく。こういう意欲のスパイラルが起きるのは本当に久しぶりだ。)

 村上作品は翻訳も含めると相当な数が出ているので、もしすべて購入すると、とても本棚には入りきらない。買わなかったというより、置くところがないので買えなかったというのが本当のところかもしれない。これだけ多作の現役作家の場合、本の体裁をした電子ブックのようなものが製品化されるまでは付き合い続けることの出来るひとは限られるのではないかとも思ってしまう。
 ちなみに、いま電子書籍について検索したら、松下のシグマブックソニーリブリエという商品が発売されていたが、サービスを終了するようだ。iphoneのように、画面をめくるような表現ができることは今でも可能だろうから、あとは軽くて薄いディスプレーの登場を待つばかりだろうか。あるいは「電脳コイル」のメガネの方が先に実現するだろうか。電子書籍が本格的に普及するようになったら、本屋や図書館がなくなってしまうだろうか。それはそれで少し哀しい。

 ひと足先に技術が発展している音楽の分野ではすでにドラスティックな変化がおきている。町のレコード屋(若い人は「レコード屋」と呼んだことがあるだろうか)は当の昔に駆逐されてしまったし、百貨店の中のCDショップには活気が感じられない。ネットで視聴してネットで買う。もうそういうシステムが確立してしまった。次は本だ。
 ということは、ブックオフなんかの株を買っていてはだめなんだ。出版社の株を買うべきか。それとも、作家が直接ネットで配信するとしたら、そういうネット配信を代行するシステムをつくりあげたものが勝ち残る。
 アマゾンの「なか見!検索」はすでに、そこに唾をつけに行っている。と、いうか、がっちりと基礎を固めつつある。実をいうと、「村上春樹にご用心」は、「なか見!検索」で目次を読み、これは買わねばとの思いで思わずクリックしてしまったのである。すでに雌雄は決しているのかもしれない。アマゾンの株を買うべきだ。

 村上春樹が作家になる前にやっていたジャズ喫茶が「ピーター・キャット」という名前だったことをはじめて知った。そういうことを調べてみようとも思わなかったが、いまネットで検索するといろいろと情報が出てくる。気になることはネットでこまめに検索してみるものだ。