宮部みゆき「模倣犯」

模倣犯1 (新潮文庫)

模倣犯1 (新潮文庫)

 足かけ10ヶ月。やっと読み終えました。
キャラクターに感情移入しすぎると気分が悪くなって読むスピードが遅くなっていました。阿部和重の「シンセミア」の気分の悪さと近いものを感じながら読んでいました。かなり時間を置いてから再度読みはじめたことで“読むことの快楽”、というようなことを感じながらリズムに乗ることができました。祝日の昨日、下巻の残り300ページほどを一気に読みました。
 著者が書きながらストーリーをつむいでいたのだということは感じながら読んでいた。あとがきで週刊誌での連載だったことを知った。
とくに昨日読んだ下巻の後半には、著者の紆余曲折の跡が感じられるところがいくつかあった。北海道での未遂事件のくだりが放置されたままだったり、前畑滋子の連載が途中で放棄されたりといったことなどだ。
 前畑滋子の筆が止まったときには、著者自信の筆が止まっていたのではないかという気もした。そして、網川浩一(名前が出てくることに違和感を感じた...)による本の出版という、かなり受け入れがたい展開...。それでも、ここまで来て止めるわけにはいかないのだ。読むことの快楽がそれらの違和感をはるかに上回っていた。
 もっとも受け入れにくかったのが、網川浩一がテレビなどに出ているというのに、声紋鑑定がされることなく事態が展開し続けたことだ。もちろん、このテキストすべてを読んでいるわけではないテキストの中の世界では網川浩一が真犯人ではないかという疑いを抱くものがいなかったという前提が成立しないとはいえないだろうが、現実の世界ではひねくれものが相当数存在しているはずなので、しかも、これだけネットが普及した現在ではさらにその状況は一層顕著なはずであり、そういった前提はありえないとさえいいきれるだろう。とはいうものの、読むことの快楽はさらに先を読むことを志向していた。
 読者にとっても警察の捜査情報がほとんど伝えられていないというテクストの中の世界の庶民の状況との共通点があるため、不自然な前提を受け入れてしまうことが可能になっているのかもしれない。
 とにもかくにも、これだけの枚数の小説(まだいくらでも長くできそうだが...)を書ける著者には敬服せずにはいられない。

模倣犯」を読む前に、ケーブルテレビで「E.T.」を久しぶりに見ました。
宇宙船のセットを除けば、驚くほどお金のかかっていなそうな気がする。相当に儲かったのではないだろうか。制作費はいくらだったのだろうか?(ネットで検索したら、米国映画としては制作費はかなり低いようです。)
E.T. (映画で覚える英会話アルク・シネマ・シナリオシリーズ)

E.T. (映画で覚える英会話アルク・シネマ・シナリオシリーズ)